【概要】
シビ王という心やさしい王さまがいた。帝釈天はその心を試した。
王さまのところに鷹に追われた鳩が来て、命ごいをした。
鷹は王さまに、
私は腹が減っている。鳩を食べないと死んでしまう。あなたは鳩のいのちとわたしのいのちとどちらが大事だと思っているのか。
と尋ねた。
そこで王さまは鷹のいのちも大切だと思い、自分の体の肉を鷹にやろうと思い、鳩と同じ重さ分だけ自分の肉を切り取って天秤の上に置いた。
しかし、その天秤はどれだけ王さまの肉を切り取って置いてみても、鳩の重さとつり合わない。
そこで王さまは自分の体を天秤にのせ、自らいのちを与え、鳩のいのちを救いました。
シビ王の心を知った帝釈天は、王の傷をもとのように癒し、敬った。
【解説】
- ・鳩と釣り合うためには王さま自身が秤に乗り、鳩のいのちを救ったということは、重さを量る秤ではなく、いのちの天秤だったのです。
- ・一つのいのちを救おうとして、他のいのちを奪うことがあっては、意味がありません。
私たちが「やさしく」や「慈悲深く」といっても、もし誰かを害することがあるならば、それは本当の「やさしさ」でも「慈悲」でもありません。
ここには本当の慈悲とは、どのようなことであるかが説かれています。 - ・いのちそのものは鳩であろうと鷹であろうと、王さまであろうと同じ尊さをもったものなんだということが読みとれます。
- ・私たち人間は、そうした「いのち」を毎日いただいてしか、生きていけないということも合わせて考えたいものです。
【補足】
- ・この話は『六度集経』(大正蔵3、1頁中)、『賢愚経』(大正蔵4・351頁下)、『大荘厳論経』巻第11(大正蔵4・321頁上~323頁下)、『大智度論』巻第4(大正蔵25、88頁上~下)などに説かれています。
- ・話の内容が、多少相違するものを以下に記しておきます。
- ・『賢愚経』(大正蔵4、351頁下)
自らの肉を与えるという、あまりの苦痛に気を失った自分に、「今こそ精進し行を修める時だ、なのに懈怠する時ではない」と気力を振り絞って、秤に自らが乗ったと説かれている。
悟りを求める王は、これほどまでのことをしても一切後悔する気持ちはないと言い切っている。
この王が今や如来となったことを聞いた梵王は合掌し讃嘆したと説かれている。 - ・『大荘厳論経』巻第11(大正蔵4、321頁上~323頁下)
自らの肉を乗せても鳩の方が重かったので、ついに王自身が秤に乗り、「これで鳩のいのちが救えると喜びいっぱいの顔」であったと説かれている。
王は、自らの姿が元に戻ったのを見て、速やかに悟りを開きあらゆる者を救っていこうと偈頌をもって結んでいる。 - ・『大智度論』巻第4(大正蔵25、88頁上~下)
「六度(六波羅蜜)」を説くなか檀波羅蜜(布施)の説明として説かれている。
近い将来必ず仏となるであろうと言われる尸毘王が、一切の衆生を救おうという思いを起こした。
帝釈天が鷹に、毘首羯磨が鳩に変じてその思いを試そうとしたと説かれている。
自らの身を切り与えることは地獄の苦しみに比べると十六分の一でしかないとも説かれている。
尸毘王の思いが本当であることを確認した帝釈天は尸毘王の身体を元の状態に戻したと説かれている。
- ・『賢愚経』(大正蔵4、351頁下)