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コラム伝道 / 目でも聴聞

「見てわかるところから入るのも一つの方法だね」

法話の例話を考える時、こんなアドバイスをいただいたことがあります。私たちは日常生活の中において、目で見て理解をすることが多くありますし、「なるほど例話のたすけになるな」と思いました。

体験談や説話、読んだ話から聞いた話など、様々な例話があります。どれも自分が頭に思い描いていることをそのまま話そうとしますが、これがなかなか難しい。話し手と聞き手が、頭に同じ絵を描きながら話を展開させていくことが大切であり、勿論、布教使の努力すべきところではあります。

日頃、様々な場所でお取次をさせていただきますが、その中でも多いのは、お寺でのご法座であったり、法事の席であったりです。特に法事の席では、仏教・宗教にご縁のなかった方や子どもさんなど、いろんな人がおられます。いろんな人がいろんな聞き方をしますから、例話などでは共有の絵を頭で描くことは難しいものです。そこで、その場で皆が見てわかるものを例話の題材にしていくと、まず頭に同じ絵を共有しやすくなります。阿弥陀さまのお姿(木像・絵像)、仏華や蝋燭、蓮や鳥もあるでしょう。また、ほとんどの人が持って来られているはずのお念珠からも味わうことができます。

例えば、私たちが普段よく使う単念珠。下に位置する大きな珠(親玉)を阿弥陀さま、左右に位置する小さな珠(天玉)を観音・勢至といただくならば、手を合わせお念仏申す私の周りには、阿弥陀さまをはじめ多くの諸仏諸菩薩方がいてくださる。

例えば、左右の小さな珠を父母といただくならば、お念珠の輪は私をとりまく多くの「いのち」のつながりの輪。その輪の中に両手を通す姿から阿弥陀さまのはたらきを味わっていくと、皆が共通の絵を描きやすくなるのではないでしょうか。

これらの例えは、お念珠の正式な解説ではありません。私の個人的な味わいですので、あしからず。

お念珠を持っていない方に対しても、お念珠はお参りの道具ではなく、大切なことを教えてくれる「仏具」ですよとお伝えし、お念珠をお持ちいただくことを促すことにもなると思います。

法座や法事の席。そこには多くの仏具があるはずです。そこにあるものを例話の題材にすることによって、話し手と聞き手が同じ絵を共有しやすくなります。何気なく使っているお念珠や、ただ供えていたお供物やお荘厳に意味を持たせ、味わってもらう。

仏事を行うことが、そのまま聴聞の姿となり、そこから私のいのちのあり様、いのちの行方を一緒に聞かせていただくお参りにしていきたいものです。

2011/10 元布教研究専従職員 牧野 大博(光博)