平成元年8月、私は得度を受け、「僧侶」になりました。僧侶になって間もないある日、私は一人自坊で留守番をしていました。その時、一人の門徒総代さんが訪ねて来られたのです。
「僧侶としてのはじめての留守番ができる」と、すっかりうれしくなった私は、さっそく布袍輪袈裟をつけ、出迎えました。その方は、頭はうつむき加減、足取りは重くといった様子で門をくぐられ、本堂の阿弥陀さまの真っ正面に座って深々とお念仏されました。そして思い詰めたような面持ちで私のほうに向き直り、「なぁ、お念仏って何やろうなぁ?」と質問をされたのです。当時、大学で仏教学を学んでいた私は、ここぞとばかりに得意気に「お念仏ですか?少々お待ちください!」と答えて、「念仏」について書かれている様々な書籍を自室から引っ張り出し、一冊一冊の「解説」をしたのです。その一つ一つを「はぁ」「そうですか」と頷きながら聞いてくださった門徒総代さんは、「ありがとうございました」と礼をのべられ、もう一度阿弥陀さまの方に向き直って深々と合掌され、お寺をあとにされたのです。
私は「僧侶としてのはじめての留守番は大成功だ」と思っていました。しかしそれは大失敗でした。実はその門徒総代さんは癌の余命宣告をされ、病院から帰る途中、気づいたらお寺だったそうです。当然、その方は「念仏の解説」などではなく、念仏を真剣に求めておられたのでした。
あらためて私は「お念仏ってなんですか」の答えを書籍や聖典に求めましたが、「私の味わい」としての答えが書かれていよう筈がありません。見舞いにも行けず悶々とする私に、その門徒総代さんから手紙が届きました。
「最近、お念仏というものがわかりかけてきた。でも、わかったと思ったら、やっぱりわからなくなるんです。でも、お念仏ってありがたいです。南無阿弥陀仏」
手紙は亡くなる1週間ほど前に書かれたもので、もうペンを持つのもままならない状態だったのでしょう。青いインクで震えるような字で、「お念仏ってありがたいです」の「念仏」のところだけ、ひときわ大きく、何度もなぞったあとがありました。
手紙には、念仏とはこういう意味ですという、いわゆる「解説」はありません。むしろ、念仏を心の底からよろこばれ、また私にそのよろこびを伝えようとされる、門徒総代さんの心が溢れていました。
僧侶になって20年以上が経ちますが、しわくちゃになったその手紙を開くたび、当時の事を鮮明に思い出します。その手紙には、「お念仏を伝えていきなさい」とも「伝道しなさい」とも書かれていません。しかし、総代さんは、何度も何度も「念仏」という字をなぞる中で、「あなたは、お念仏に出遇っていますか?」と私自身のありようを問うてくださっていたのです。念仏に「出遇っているのに出遇っていなかった」その気づきを通して、お念仏を伝えていく一人でありたいと思います。