私たちは情というものをもっています。論理的に考える、理解することもできますが、情に縛られて生きているのも事実です。「わかっちゃいるけど、やめられない」なんてよく言うじゃあないですか。
私たちの情は、迷いの心からつむぎ出された凡夫の情(凡情)です。阿弥陀さまのお救いは、凡情に縛られている私をこそ救おうというみ教えです。
「お聴聞などしなくても、本を読んだら内容はわかる」などとおっしゃる方がいらっしゃいます。もちろん論理的に理解することは本を読んでできることかもしれません。浄土真宗という教えは論理的にもキッチリと明らかに説かれているのですから。
しかし、情に縛られ生きている私たちは、論理だけで納得しているのではありません。文字に書かれた言葉も、生の声で聞かせてもらうと、受け取り方が随分違うことがあります。説き手の声の調子や、間の取り方、はたまた身振り手振りから顔の表情一つで、聞き手の受け取りは大きく左右されます。
やっぱりライブで聞かせてもらうと、読書で理解するのとは、ひと味もふた味も違う受け取りができます。お説教はライブです。よろこびいっぱいのライブです。
2008/01 教学伝道研究センター常任研究員 葛野洋明